光と影の間で強くなる—一宮大介、V16完登の“次の現実”
一宮 大介は、ただ高いグレードを“取る人”ではない。体の感覚、足裏、自然の環境まで含めて「登り方そのもの」を更新してきたクライマーだ。1993年生まれの竹田市出身で、2017年にV16課題を完登し、国内外に名を刻む。
質問にまっすぐ答えるなら——一宮 大介は、V16「Creature from the Black Lagoon」(2017年)を完登した日本を代表するロッククライマーで、緑の妖精(La Fée Verte)8cや末法8cなどの初登も担う。さらにベアフットクライミングと「回生プロジェクト」を通じて、身体と心の鍛え方を提案している。
| 項目 | 要点 |
|---|---|
| 名前 | 一宮 大介(Daisuke Ichimiya) |
| 出身 | 大分県竹田市 |
| 生年 | 1993年 |
| 競技開始 | 2009年 |
| 外岩転向 | 大学進学後 |
| 海外の到達点 | 2017年:コロラド州でV16「Creature from the Black Lagoon」完登 |
| 国内初登(例) | 緑の妖精(La Fée Verte)8c/末法 8c |
| 活動の特徴 | ベアフットクライミング、Vivobarefootアンバサダー、回生プロジェクト |
一宮 大介とは何者か:V16完登と“足の感覚”への執着
クライミングの世界では「どこまで登れたか」が語られがちだ。しかし一宮 大介は、その先にある“登り方の設計図”を見せようとしている。彼の言葉の中心にあるのは、グリップや筋力だけではなく、足裏の感覚、身体の重心移動、そして自然環境のなかでの判断だ。
1993年に大分県竹田市で生まれ、2009年にクライミングを始めた。最初から外岩の難しさを狙っていたというより、高校時代からインドア(ボルダリング/リード)に深く触れ、国内大会でメダルを獲得するほど競技性を鍛えた。だからこそ、後に外岩へ転向したときも、体の使い方が急に変わったのではなく、「延長線上」で研ぎ澄まされたように見える。
2009年から始まった競技の積み上げ:高校期の強さは“基礎の質”
一宮 大介の原点は、外岩の岩肌より先に、室内のホールドと人の動きにある。高校時代からボルダリングとリードの両方に慣れ、単に登れるだけでなく「試す」「修正する」を繰り返す癖がついた。大会でメダルを重ねる選手は、再現性がある。勝てる瞬間を覚えているから、次に同じ条件が来たときに焦らない。
ここが重要だ。外岩へ移った後、彼が狙ったのは単なる大物ではない。むしろ、足場が細い高難度で「正解の手順」を奪い合う世界だった。大会で鍛えた土台があったからこそ、情報量の多い外岩で判断が追いついた可能性が高い。
大学進学後の外岩転向:世界基準へ踏み出すタイミング
外岩へ転向したのは大学進学後だ。競技クライミングの成果を、実際の岩の上に移すには時間がいる。室内の均一な照明とホールドに対して、外岩は天候、湿度、岩の摩擦、風、時間帯で条件が変わる。つまり同じ体でも“同じ登り”ができないことが普通になる。
だから外岩転向は、ただ場所が変わっただけではない。トレーニングの意味、失敗の理由、成功の定義が再編される。 一宮 大介は、その再編を速い段階で進め、2017年にはアメリカ・コロラド州のV16に到達している。
2017年のV16完登:一宮 大介の名前が“世界の会話”へ入った瞬間
転機を象徴するのが、2017年のアメリカ・コロラド州での難易度V16課題「Creature from the Black Lagoon」完登だ。V16は数字の上だけでは伝わらない。ホールドの小ささ、体幹を維持する時間、そして“足を置くための微調整”が極端に要求されるグレードだ。ここで一度完登が起きると、その選手は一段階違う領域に入ったとみなされる。
同年、ピオレドール・アジアにもノミネートされている。ピオレドールは世界のクライミングシーンで注目される賞のひとつとして知られ、ノミネートは「何をやったか」だけでなく「どの文脈で評価されたか」を示す。つまり一宮 大介の実績は、国内で完結するニュースではなく、海外の視点でも語られるレベルに達していた。
国内初登8c:緑の妖精(La Fée Verte)と末法が示す“日本の硬さ”
外でV16に届いたとしても、選手が本当に強いかは国内でも問われる。一宮 大介は国内の高難度に対しても、初登という形で意思表示をしてきた。
たとえば、奈良・御手洗の「緑の妖精(La Fée Verte)」8c。加えて、京都・笠置の「末法」8cなどだ。これらは“既に誰かが整えたルート”をなぞるより、初登であること自体が負担になる。手順の選定、ホールドの扱い、ムーブの論理、そして安全面の確保。初登は技術以上に判断力を求める。
また、こうした初登はその地域のクライミング文化にも影響する。新しいラインが出ると、人が集まり、研究が進み、後続の挑戦が続く。その起点を担える選手は、単なる“到達者”ではなく“運動の変化を起こす人”だ。
ベアフットクライミングへ:Vivobarefootアンバサダーの意味
一宮 大介が近年目立つ理由の一つが、ベアフットクライミングの取り組みだ。足裏の感覚をよりダイレクトに使うことで、微細な傾斜や摩擦の変化を読み取りやすくする、という考え方がある。もちろん、これは“靴を捨てて楽になる”話ではない。むしろ、感覚の要求が増え、体重移動の精度が露骨に問われる。
彼はVivobarefootのアンバサダーとしても活躍している。企業アンバサダーは単なるスポンサーではない。製品の特性をどう体感し、どんな条件で強みが出るのかを、選手が現場で検証する役割になる。クライミングで求められるのはデザインではなく“登攀に直結する機能”だからだ。
回生プロジェクト:登るだけで終わらない“身体と心の設計”
一宮 大介はプロとして活動するだけでなく、ベアフット登攀クラブ「回生プロジェクト」を展開している。名前が示す通り、狙いは“上達”のその先——身体と心を回復させ、再び挑戦できる状態を作ることにあると読める。
活動の実態は、クライミングジムでのルートセットや、国内外の遠征を通じた実践に現れる。遠征先としては、コロラド、南アフリカ、スイスなどが挙がる。環境が変われば、岩の質やホールドの性格、天候の揺れ方も変わる。そこで同じ考え方が成立するかを試すことは、ベアフットの主張を“理論”から“現場の再現”へ引き上げる作業でもある。
また、自然と触れ合うことで身体と心を鍛えるスタイルを掲げている点は、現代のスポーツ消費の流れとも対照的だ。テクノロジーや映像の派手さに頼るのではなく、岩と時間と自分の微調整に集中する姿勢が、彼の活動の核になっている。
次の目標:V17「Burden of Dreams」と、60歳まで続ける誓い
目標が常に更新されているのも、一宮 大介の特徴だ。具体名が挙がるのは、V17の「Burden of Dreams」。V17は、Vグレードの上でも“別種の集中”が求められる領域として扱われる。ホールドの精度、息の入り方、失敗したときの修正速度——すべてが限界に近いところで問われる。
さらに、60歳までクライミングを続けることを志望している。ここには競技の延命ではなく、“学びの寿命”を伸ばす意志があるように見える。ベアフットは感覚を研ぐ挑戦であり、登るほど年齢に応じた調整が必要になる。だからこそ長く続ける姿勢と、足裏の学習が噛み合っている。
光も影もある。高難度への挑戦は成功の瞬間だけが切り取られるが、実際には擦り切れる日々もある。だが一宮 大介の歩みは、成功回数よりも「更新する習慣」に価値を置いている。次にどんな課題名が増えるのか。それは数字のニュースである前に、彼の“問い”がどこへ向かうかの報告になりそうだ。
Frequently Asked Questions
一宮 大介はどこ出身で、いつクライミングを始めましたか?
一宮 大介は1993年に大分県竹田市で生まれ、2009年にクライミングを始めました。
2017年に完登したV16の課題名は何ですか?
アメリカ・コロラド州で、難易度V16「Creature from the Black Lagoon」を2017年に完登したとされています。
国内での初登8cとして有名なルートはありますか?
奈良・御手洗の「緑の妖精(La Fée Verte)」8c、京都・笠置の「末法」8cなどが挙がります。
一宮 大介のベアフットクライミングは何が特徴ですか?
足裏の感覚と身体の自然な動きを重視し、環境や条件の中で感覚を研ぐ取り組みとして知られています。
回生プロジェクトとは何ですか?
ベアフット登攀クラブとして展開されており、ルートセットや遠征などを通じて、身体と心を鍛える目的で活動しています。